ぐるっと一周してきたんだな。
昨日のあれこれを経て、こんな記事を紹介してもらった。読みながら、あちこちぐさぐさ刺さる。
自分で「やってない仕事」をどんどん増やして、「あれもこれも出来てない」などと自分で自分の首を絞めていませんか。自分で自分を追い込んで、「自分(の能力や性格)が悪い」と、自分を責めていませんか。
う、うう。。。ついやりがち。。。
背景として、多くのEC社長さんは、地方の中小企業の方が多くて、地域の中で「これまで通りを繰り返す」周囲の企業と一線を画して、いちはやく新しい商売(EC)に飛び込んだ勇者たちですw つまりチャレンジングな気質の持ち主が多いです。だからこそECで生き残っておられるのですが、その強みが弱みになってしまう。チャレンジしすぎるのです。もともと好奇心が強く積極的だからこそ、これまで成功してきたわけですが、状況変化によって、自爆して忙しくなってしまう。
チャレンジングしすぎる。。。
キャパ不足なのに「次々いろんなタスクを始めてしまって、全部中途半端で終わらない」ことに割となりがちなんですね。そして、1つが終わる前に、次々新しいことを始めるので全部やりかけになる。「待ちきれずに新しいことを始めてしまう」というケースが多いんです。でも同時並行って、かなり非効率なんですよね。複数走っている「やりかけのプロジェクト」を全部把握しておかないといけないので、お手玉状態になります。
ぐふっ。。。
滅多刺しにされた気分。。。
そういえば、「やっていない」「できていない」つまり「課題」に対する認識について、春先、物理学者のデイビット・ボームの『ダイアローグ』を読みながら、あれこれ考えていたことを思い出して、過去のツイートに遡ってみる。

ぼくは、「諦めないということだけ決めている」とよく言う。これは、「対話に生きる」ことそのもの。
これにまーぼーがこうやって返してくれてた。

そうそう。「課題」を生み出しているのは思考。だから、この思考を変えられさえすれば、「課題」は「課題」ではなくなるし、さらに、「解決」も生み出していける。改めてこういうことも思い出す。
さらに、遡っている途中で、べにさんのツイートを引用リツイートしていたのも目についた。

楽観主義とはよく言われるけど、ポジティブなことの積み重ねで、幸せな未来や地域があると、僕は信じてます。
課題を潰し続ければいつか潰し終わると思ってる方が楽観的だとも思う。
こういうことも、ちゃんと思い出す。
「課題」を「課題」たらしめているものは何か。そういうことにちゃんと意識を向け直す。山積みになっていると思い込んでいるその「課題」たちもまた、その人や集団の思考が生み出しているということ。
もうちょっと、捉え方の角度を変えてみよう。そのために、こうやって人に相談したり本や記事を読んだりする。リフレーム。
さっきの記事でもこんな風に書いてあった。
ハウツー的・テクニック的な具体策よりも、「気の持ち方」で状況が変わります。実際、社長さんとの壁打ちの中で感情について話していく中で、解きほぐされていくケースが多く見られます。
とか思ってたら、過去の記事でも同じようなことを書いていた。
そして、どこもかしこも課題は山積みなんだけど、でも、同時に、そもそも真の課題なんてものは存在しなくて、その人が、そこにいる人々がつくりだしているもの。その課題は、その人が、そこにいつ人々が認識している課題でしかないんだ。だからこそ、課題を認識することと同じくらい、課題を課題と認識し過ぎないことも大事だなあと思う今日この頃。課題にフォーカスしている時こそ、もっと全体性を感じよう。
ぐるっと一周回ってきたんだな。でも、今回はアプローチが以前とはずいぶん変わりそうだから、また別なものが見えてきそうな気もしている。同じようなことを言っていても、やっていても、「全く同じ」になることはない。
というわけで、今回紹介してもらった記事の中で何よりこの2つの言葉が深く心に残ったのでした。
※ちなみに「観念」という単語も元々仏教用語だそうで。その意味は「対象を正しく見極めて、精神を集中して考える」ことだそうです。
※ちなみに諦めるという言葉は、もともと仏教用語で「明らかに見る」という意味があるんだそうです。自分の置かれた状況、お客さんの需要やライバル動向や自分の価値観などを明らかにして、よく見て集中してやっていくことが必要なんじゃないかなと思います。
観念して諦める。素晴らしい言葉だな。今のぼくには必要な言葉。ここからまたはじめよう。

ちょうど、今、手塚治虫の『ブッダ』を読み返しているところ。
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