「闇」に光はなくとも、「音」がある
紙にボールペンで描きはじめて、そこから手帳に移り、ボールペンから多色ペンになり、色鉛筆になり。
最近は、何となく気になって撮っていた写真を、何となく描きたいとこだけを、何となくトレースして、そこに一言詩的なものを添えるということをやっている。(完全に山ちゃんの影響を受けて)
今朝はその余韻で、レオレオニの『フレデリック』が読みたくなって2年生のつどいで読み聞かせもした。
昨夜、描いたものをじいっと見ていると「闇」という字が何となく引っかかって、よくよく観察してみると、「闇」には光はないけど、「音」があることに気づく。
たぶん、「門」は、門が閉まって光が遮られているということだと思うんだけど、そこに「音」をあてたところが妙にぐっと来た昨夜0時すぎ。
どんなに先が見えない周りが見えない真っ暗闇のなかでも、「音」を頼りに、ぼくたちは歩いていける。イメージすることができる。
フレデリックは、きっと、そういうことがよくわかっていたかしこいねずみだったんだろうな。
今朝、オンラインで、音楽仲間の同僚と幼児と低学年向けに「うたのへや」を開いた。改めて「音」をたのしむ時間を大切にしていきたいと思って、そんなことを語り合って、ふりかえった。
すると、音楽担当の同僚からこんなメッセージが。
音楽って、音を楽しむと書くけれど、実は違って、音楽から楽しいという言葉ができたのだというのを聞いたことがあるなぁ。音や音楽は、人の根源的な欲求なんだろうな。
いやー、おもしろい。今、うちの中学生は、音や音楽のもつ力について考えているらしい。そこにまじりたい!って言ったら、まじって!まじって!とのことだったので、「音」の探究?哲学?が何やらこれからはじまりそうだ。
ていうか、「ことば」も、それ以前の「声」も、もともとは「音」だよな。
うーん、おもしろい。そうだ。久しぶりに曲が書けそうな予感がしたので、ギター持ってくる。
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